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世界文化遺産の島 安芸の宮島―。
厳島神社が鎮座するこの島に、数々の謎が存在する。
かつて、禁足地として入山することが出来なかった、御神体であるこの島の謎とは?
そして、内宮である ”厳島神社” と、弥山山頂付近に鎮座する奥宮の ”御山神社” との関係とは?
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海の中に鎮座する厳島神社。
厳島神社は、神が降臨する場所と考えられた「弥山」を守るように建てられている。
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大鳥居、厳島神社、弥山を海側から眺める
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厳島神社は向かって左側から入り、右側から出て行くようになっている。
Photo by (c)H3 |
古くは、伊都岐嶋神社(いつきしまじんじゃ)とも、厳島大明神(いつくしまだいみょうじん)とも云われていた。
約6000年も古来より、島全体がご神体である神の島とされ、決して人が住むことを許されなかった。
推古天皇元年(593年) ― 大和時代の安芸の豪族であり、厳島に住む佐伯部の有力者である佐伯鞍職(さえきのくらもと )が、市杵嶋姫命の神託を受け、御笠浜御(みかさのはま)に厳島神社を創建したことが始まりとされる。
佐伯鞍職は、初代神主となり、以後安芸国造佐伯氏が代々神主を努めた。
現在の海上社殿は、仁安3年(1168年)にかねてから厳島神社を崇敬してい平清盛の援助を得て、佐伯景弘が造営した。
本殿に祭られている御祭神は、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神である。
<”8 ”にこだわる厳島の神秘>
朱塗りの大鳥居は、本社火焼前(ひたさき)・平舞台より ”88間”(約160m)の位置にそびえている。
朱塗りの大鳥居は、本社拝殿より ”百八間”の位置にそびえている。
現在の樹齢500〜600年のクスノキの自然木で作られた大鳥居は、8代目にあたり明治8年に建てられた。
厳島神社の境内にある各建物を繋ぐ回廊の長さは東西合わせて”百八間”ある。
回廊の柱と柱の間にはめ込まれている床板は、”8枚ずつ”になっている。
さらに柱と柱は、八尺になっている。
毛利元就が最初に寄進したとさる参道の石灯籠は、”百八灯明”と呼ばれ、もともとは煩悩の数を表す”108基”あった。
厳島神社は、数々のメッセージを込めて造られている。
”8”への拘りは、”8”を神聖な数字として捉えている仏教の影響と言われている。
また、平安時代は、神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々が様々な仏の化身として現れたとする本地垂迹(ほんちすいじゃく)が広まっていため、それが影響している。
<安芸の宮島の”大鳥居 ”の神秘>
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Photo by (c)H3 |
大鳥居の屋根の東側(御笠浜側)には太陽、西側(西松原側)には月のシンボルマークがあり、陰と陽を表していて、風水上、北東は鬼門の方位とされるので、太陽は鬼門封じのためといわれる。
安芸の宮島は島全体をご神体とするため、古来は対岸から小船に乗って、大鳥居をくぐり、参拝していた。
大鳥居に掲げらている扁額は、二つあり、神社側は「伊都岐島神社」、海側は「厳島神社」と有栖川宮家の9代目当主の有栖川熾仁(たるひと)親王により書かれている。
海の中に聳(そび)え立つ大鳥居は、いったいどうやって建っているのか不思議だった。
すると、大鳥居には、先人の知恵が隠されていたのである。
大鳥居は、自然の重みだけで建っていて、台風や地震が来ても決してびくともしない。
まず、大鳥居の上の部分の島木が箱形の造りになっていて、重石のとしてこの中にこぶし大ほどの玉石が7トンも詰めてある。
また、主柱・袖柱が全部で6本足になっているため、安定している。
室町時代に、現在のような袖柱がある四脚鳥居になったと云われている。
柱と屋根の交差する部分には、柱と屋根のひずみなどを吸収してくれる役割のクサビが施されている。
海の底の基礎の部分は、鳥居の固定のために地中に松材の杭(木の棒)を打って、さらにその上から要所要所に石を配置する布石(ふせき)をしている。
大鳥居は、腐りにくく虫に強いクスの木で、高さ16.8mで、主柱の外周は9.9mもある。
<神様が本殿へ行くときに通る道―神様専用の門・不明門(あけずのもん)>
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| 不明門 |
決して開かれることのない「不明門」。
御山神社から降りてきた神様が、本殿に行くにときに通る道とされ、神聖な場所とされ立ち入り禁止になっている。
神職でさえも、近づくことは容易ではないとされている。
また、厳島神社が災害にあった時に、御山神社に御祭神の神々に移ってもらう門とも云われる。
場所は、本殿裏手の森「後園(うしろのその)」にある。
不明門の屋根は、桧皮葺の厳島神社で唯一の瓦葺屋根になっている。
>> つづき (厳島神社奥宮「御山神社」と地主神「大元神社」とは!?)
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▼「安芸の宮島」の関連ページ
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